【書評】最高の集い方〜記憶に残る体験をデザインする(著者:プリヤ・パーカー/プレジデント社)

Date: 2020.05.27
Category: 広報PR戦略
Written by: 梅下 武彦

本書のタイトルに魅せられて手にしました。原題は、“The Art of Gathering : How We Meet and Why It Matters”で、直訳すれば「集いのための技術:どのように人は出会い、なぜそれが重要であるのか」。著者は世界的に著名なファシリテーターです。ファシリテーションに関する著書を読むのは、私自身は今回が初めてなのですが、今という時期だからこそ本書と出会ったような気がします。

参加者(ゲスト)が何を得ることができたら、その集まりは目的を達成できるのか。さらには成功したことになるのか。「なんのための集まりか」も重要なのですが、「なぜ集まるのか」をつねに問い続けることを怠るべきではないと。

世界的に活躍するファシリテーターによる著書

プリヤ・パーカーは、対話と紛争解決において、15年以上のキャリアをほこるプロフェッショナル・ファシリテーターです。彼女は、米国人の父とインド人の母を持つという生い立ちからとくに人種や宗教問題にも関心が高く、MITで組織デザイン、ハーバード大学では公共政策、バージニア大学では紛争解決について学びました。世界経済フォーラム(年次総会の「ダボス会議」が有名)のグローバルアジェンダ委員会のメンバーで、またTEDのメインスピーカーとしても著名です。

本書は、2018年のアマゾンとフィナンシャル・タイムズなどで、“The Best Books of the Year”に選出されています。

著者は、ほとんどの人は、集まりの種類(会議、セミナーやトークショーから誕生パーティー、大きなカンファレンスなど)を目的だと勘違いしているし、そうした集まりについて気に掛けていないが、なぜ人々が集うのか深く考えようと問いかけ、本書の執筆動機を以下のように語ります。

“誰かと過ごす普通の時間を、どうしたら忘れられない時間に変えることができるのか? 人との集いを意味ある瞬間に変えるにはどうしたらいいのか? そうした問題意識のある人に向けて、この本を書きました”と語ります。

また、“ファシリテーターとは、集団の関係を構築し、人々が対話できる環境をつくるスキルの持つ人”だと定義づけています。

著者が本書で述べている手法は、“Sustained Dialogue”(持続的な対話)と呼ばれているもので、これは人種、国籍、宗教などが異なる人たちを対話へと導くための集う技術による、紛争解決のためのひとつの方法とのこと。

また本書を執筆するにあたり、著者自身の知見だけではなく、多種多様な集いを主催している100人以上の人たちへのインタビューを敢行し、それらから得られたアイデアやヒント、コツも本書に大きく貢献しています。

ベビーシャワーでの失敗による教訓

ベビーシャワーの風景

著者が、はじめて赤ちゃんを迎えようとしていた当時、女友達がベビーシャワー(妊婦を祝福するために、女性同士だけで集まるパーティー)を開催してくれることになりました。そのとき夫も参加したいと言い出し、冗談だろうと相手にしませんでした。

その出来事を振り返りながら、長年あるいは繰り返し開催されている集まりは本来の目的や意義が見失われがちで、開催することが目的になって形式化してしまうと。

つまり、集まりが習慣化したり惰性になると、時代の変化や参加者の価値観とずれたり、ニーズと目的があわなくなっていても、そうした慣習を破ることや異なることを実施することが難しくなり、そのことで本来の目的や価値が損なわれてしまうと忠告しています。

むかしからの慣習それも伝統的な集まりであればあるほど、そうした傾向から逃れがたく、どうしても形式化して型どおりに開催(進行)させることに意識が集中してしまい、結果としてその本来の目的と意義を忘れてしまいがちだと。

集いにも不可欠な要素「特殊性と独自性」

私は、マーケティング戦略においてもっとも重要なのが「独自性」だと考えていることは、「独自性はどうやって発揮できるのかーーPR・マーケティングにおけるスキルの磨き方から考えるべきこと」「【書評】独自性の発見」などでも繰り返し述べてきました。

さまざまな集まりを企画し情報提供する米国のサービス“Meetup”(日本版はこちら)が、それらの主催者を対象に調査したところ、人気が高いのは特殊で独自性のある集まりであり、総花的なものではないということでした。

テーマが絞り込まれ特殊であるほど、そこに注がれる情熱(想い)は強くなり、またその集まりは、他の人が開催する同じようなタイプの集まりとどう違うのかが鮮明になります。ほかの集まりになくて、その集まりにしかないものは何かをつねに意識すること。それが重要だと指摘し、次のように語ります。

“目的を持つということは、なぜ集まるのかを知ることであり、そのもとに集まってくれた参加者に敬意を示すことでもある。”

もちろん、最初はこれといった明確な目的がない気軽なちょっとした集まりでも、いずれは「なぜ、私たちは集まるのか」そして「その目的は何なのか」を明確化する必要性や機会が訪れるし、そうしたときに考えても遅くはないと。

人が集まりに参加する思惑(目的)はばらばらであり、すべての人を満足させられる八方美人な集いなどはないと述べています。もとより、ビジネスであれば収益を考えるので、参加者(入場者数)が多いほど参加費(入場料)も多く、収益という視点だけで考えれば成功のひとつの指標でしょう。

また、個人主催による集まりでも、会場費や飲食代などを勘案すれば、持ち出し(赤字)は避けたいと判断するのは主催する側の人であれば当然です。

パーティーなどでも、主催するより参加する方がずっと気軽で楽しいものです。

それでも、あれもこれもと詰め込みたくなる、またはあの人もこの人も招待したくなる誘惑を捨てて、目的や招待者を絞ることのほうがうまくいくし、長期的に継続すると。

したがって、集いの目的を明確にしたならば、参加者=招待する人たち(「どういう人を招待し」また「どのような人を招待しないか」)が重要なことになります。

ですから、来る者、拒まず(誰でも歓迎)的な集まりは、主催者がその目的も参加者に何を持ち帰ってもらいたいかなどについて無自覚なのだと実に手厳しい。

それは、著者の仲間たちの気軽な集まりでの出来事が教訓となっています。その集まりで恋人は連れてこないという問題で意見が対立したことがあり、そのことでむしろ会の目的の発見へとつながったことを教訓に、目的が不明確や曖昧なままだと、結局あとになって誰それを入れるかそれとも入れないかでむしろ揉める要因にもなると語ります。

ほかにも、明るく楽しい会にしようと誰でも前向きなテーマで語ろうとしますが、真に意義のある集まりを開きたいと願っているのであれば、暗いあるいは重いテーマを恐れてはいけないと。

「なぜ集まるのか」を問い続けることの重要さ

ひらめきのイメージ

現在、新型コロナウイルスの世界的な拡散もあり、あらゆる集まりは禁止または自粛状況になっています。それでも人々は集うことをやめません。オンライン上で実施されているビジネスでのミーティング、カンファレンスやセミナーなどのウェビナー、ユーチューブなどソーシャルメディアやSNSによる積極的な情報発信が活性化しています。

さらにはZoom飲み会に至るまで、さまざまなオンラインの集いが開催され、グーグルやフェイスブックでも、ビデオ会議サービスを提供するほどになっています。私たち人間は集うことをけっして止めません。オンライン、オフラインを問わず、集う空間(場)をつねに求めてきました。

集いというのは、まるで本能のようです。それはおそらく、人類の発生とともに誕生したに違いないほど、古代から続いている人間の営為でしょう。つまり、「人間は、社交する=集う動物である」と定義したとしても、人間の本質を語っていることになるでしょう。

最近では、オンライン・オフラインにかかわらず、リアルな生活とオンライン生活の融解した社会を「Society 5.0」と呼んでいます。

そもそも英語の“society”は、ラテン語の“societas”(社交、親交、絆など)に由来する言葉です。それに「社会」という意味が与えられるようになったのは、おそらく近代社会が形成されるようになってからのことでしょう。

そうしたことについて、劇作家で批評家の山崎正和はその優れた著書『社交する人間〜ホモ・ソシアビリス』(中公文庫)の中で、人間が目的的にか茫漠かに関わらず、集う=社交することの本質についての下記の指摘がとても示唆に満ちています。

“社交する人間は、労働の要求する固い時間割からは解放され、なお一人きりの休息が与えるじだらくは許されない。一方で自由に選んだ親しい仲間に囲まれながら、他方ではその仲間が暗黙のうちに強制する規律に従わなければならない。いいかえれば、時間も空間も友人仲間を囲い込むために閉じられていなければならず、同時に第三者を受け入れるために開かれていなければならない。

この二重にも三重にも矛盾した要求を満たすために、人間は歴史のなかでさまざまな工夫をこらし、慣習的にも制度的にも特別の時間と空間をつくりあげてきた。

(中略)

宴会にせよ舞踏会にせよ、スポーツやゲームにせよ、劇場や客間での会話にせよ、社交が成功するためには、その時間、空間がそれ自体の求心力によって引き締まっていなければならないのである。”

「オープン」でありながらも「クローズド」という相克する要素を孕んでいるのが社交空間なのだということに、だれしもが思い当たる経験的がきっとあるに違いありません。

全8章、350ページで構成

参考書にマーカーを引く

本書は、全8章で約350ページとそれなりの分量です。私はほかのファシリテーションやファシリテーターによる著書を読んだことがないので、本書がそれらの類書とくらべて分量的に多いのか否かは判断できません。

第2章(「あえて門戸を閉ざす」)から第8章(最高のクロージング))まで、誕生パーティーやキャンプ、葬式、学校のクラブ活動、地域コミュニティの司法センターから国際的なダボス会議など、身近なエピソードから世界的な規模のイベントにいたるまで、実にさまざまな集まりの事例が具体的に数多く紹介され、各々ではどのように考えて対応すべきなのかが丁寧に語られています。

本書は、集いを企画(計画)から実施にいたるまでの手順どおりの内容で、そのうえいつもさまざまなクライアントや友人などに伝えている順番どおりの章で構成されています。したがって、どのような集まりにも活用または応用することができるだろうと思います。

しかし、最初から最後まで全章を読み通す必要はなく、著者自身もここで語られている内容のすべてに従う必要もなく、また目次には各章の見出しだけではなく、本文の小見出しまでもが細かく記されているので、それら目次を見てとくに役に立ちそうな章や小見出し(ポイント)を参考にしてもらえればよいと、念を押しています

これから集まりを主催しようと計画している、あるいは現在主催したり運営に携わっている人たちなど、読者おのおのがご自身でそれらの集まり(イベントやコミュニティなど)の関心を引き寄せながら読むことで、きっと「ハッ」としたり「なるほど」と感じたり気づかされることが多々あるでしょう。

主催者だけではなく、参加者も読むべき本

本を読む女性

今年の年初の正月気分気分もぬけないころ、現在の新型コロナウイルスによる世界的な感染拡大がもたらす経済社会の破壊的あるいは壊滅的な状況を、いったい誰が予想し得たでしょうか。ウイルスが収束すれば、さまざまな集い=イベントが待ち焦がれたように再開されるでしょう。

本書の第1章「なぜ集まるのか深く考えよう」がとても重要で、この章を読むだけでも主催者・参加者を問わず、自分たちが主催あるいは参加している集まりについて心構えや姿勢について深く考えるあるいは再考するには十分です。

もちろん本書自体は、集まりを企画するか主催する人たちに向けて書かれています。しかし、それとは逆に参加者として読んでも多くのことが得られるはずです。なぜなら、参加者ひとりひとりがその集まりの目的を確認し、主催者の気持ちを理解することは、自分にとっての最適な集まりを見つけるために手助けをしてくれるだけではなく、有意義な参加者のひとりとなることができるからです。

著者のプリヤ・パーカーは、“読者のみなさんが「集まること」をこれまでと違う視点で見るようになることを願っています。”と述べています。オフラインでの集まりが自粛されている現在、人が集うということその意義や価値についてあらためてじっくりと考えるために最適な本です。

人付き合いに、原則はあっても法則はないというのが私の考え方なのですが、集まりについても同様なのだなと実感します。

本書は、初めて読んだファシリテーションというテーマの本ですが、私個人にとっては気づきや示唆、さらには発見に満ちた著書だというのが読後の率直な感想です。みなさんにとっても、そうであることを願っています。

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