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AI都市、米国シアトルの実情にふれて

イノベーション、ベンチャー、スタートアップというと、ほとんどの人たちがシリコンバレーを真っ先に思い浮かべるでしょう。今日では、同地域に関する様々な情報がメディアに溢れ書店に出向けばそれらに関連したテーマ本が数多く並んでいます。
しかし、これからは同じ西海岸のシアトルが、その存在感を強めるだろうことを確認できる貴重な機会でした。
今回の基調講演の2週間ほど前、そのシアトルを代表するAIのスタートアップ企業のミートアップがあったのですが、残念ながら私は都合で参加が叶いませんでした。

第4回目のシンギュラリティ研究所は、そのAI先端都市としての米国シアトルについてあらためて知る場に参加し、それについて語ることで本ブログの読者にもし気づきやヒントを提供できれば嬉しく思います。

なぜシアトルはAIを生み出す都市なのか

人工知能の歯車

米国シアトルは、西海岸3州(カリフォルニア州、オレゴン州、ワシントン州)の最北端に位置し、ワシントン州の州都はオリンピアですが、経済や商業など同州の中枢部を担っているのはシアトルです。

シアトルといえば、私たち日本人がまず思い浮かべるのはMLBシアトル・マリナーズのイチロー選手でしょう。また、日ごろよく利用しているスターバックスもこの街で誕生しました。ICT系では、なんといってもマイクロソフト、アマゾンが代表格でそうしたことからも日本人にとってもなじみの都市です。

マイクロソフトとアマゾン。この両社の存在こそが、このシアトルをAIの新時代都市としての存在感を高めているのです。5月の基調講演を行った中島聡さんも、シアトルで起業しています。
それというのも、この2社のサービスーアマゾン(人工知能Alexa)とマイクロソフト(人工知能Cortana)が圧倒的にマーケットシェアを握っているからです。これに続くのが、IBM(人工知能Watson)とGoogle(人工知能Allo)で、これらは「AI四天王(ビッグ4)」と称されています。

シリコンバレー界隈の企業も、優秀な人材を確保するためにシアトルでの求人活動を強化し、さらにグーグルやアップル社などシリコンバレー系企業もシアトルや近隣区域にAIのための研究開発センターを開設しているほどです。

また、中国系企業では、百度(バイドゥ)、アリババなどもシアトル系AIのスタートアップ買収で進出しています。
2015年、中国の習近平国家主席の一週間にわたる初訪米で最初に選んだのはシリコンバレー、ニューヨークやワシントンD.C.でもなくシアトルだったことがずいぶんと話題にもなりました。

シアトルのスタートアップ事情

複数のビジネスマン

私も、シリコンバレーに比べるとシアトルのスタートアップやベンチャーの事情についてはほとんど知りませんでした。
この日の基調講演「AIの首都シアトルとスタートアップエコシステム」は、シアトルで活躍している江藤哲郎、岩崎正史、トム佐藤の3氏を登壇者に迎え、各々のビジネスの立場からシアトル事情をうかがえるというとてもありがたいものでした。

シアトルのスタートアップの特長は2つあります。
1つは消費者向けではなく基本的に企業向けの技術やサービスを核にしたB to Bであることです。話題先行や華やかさのあるシリコンバレーのスタートアップに比べ、シアトルのスタートアップサービスは企業向けが多いということもあり、堅実(質実剛健)なその企業文化は日本企業との相性が良いとの話です。

2つめに大学生や20代が起業することが多いシリコンバレーとは異なり、シアトルのスタートアップは主に40代が中心ということです。その理由は、アマゾン、マイクロソフトの事業責任者やエンジニアなど、キャリアと知見に秀でた人たちがスピンオフして起業するケースが多いこと、それも両社のAI隣接領域に関連するテクノロジーやサービスにフォーカスするスタートアップが、AI都市としてのシアトルを形成しつつあります。こうした事情もあり、マイクロソフトとアマゾンが、競うようにしてそうしたスタートアップの囲い込みを展開しているそうです。
そうしたなか、2017年秋にアマゾン(AWS)とマイクロソフトはディープラーニングライブラリ「Gluon」を発表しました。

一方、大学ではワシントン大学がその中核を担っています。同大学は、全米第3位の研究開発費(2,000億円)が投じられているほど。そのワシントン大学は中国の清華大学と共同でイノベーション専門の大学院GIX(Global Innovation Exchange)を創設しました。

また、シアトルでは毎晩どこかでAI開発者向けのミートアップ(セミナー、フォーラムなど)が開催されているとのことで、そうしたイベントではマイクロソフトやアマゾンのエンジニアによるセミナーも行われ人気を博しているとのこと。

加えて日本企業とそうしたスタートアップのマッチングも積極的に開催されています。それにもかかわらず、日本企業や日本人の存在感は残念ながらきわめて希薄です。これはシリコンバレーに限らず、インド人や中国人と比べるべくもないほどです。

「意図せざること」とは

時計

登壇者の一人、岩崎さんの話で示唆的だったのは、AIがどの思考(文化)に基づいて作られるべきなのかという問いかけです。AIによる「思考のオートメーション化」が進展することで多様性や各々の文化などが捨象されてしまい、世界レベルで「思考の標準化」が進行してしまう可能性に言及した点です。
つまり、多様性とは反対の作用。それはAIがもたらすかもしれない画一化・均一化あるいはより同質的な人間や社会が出現することへの懸念です。換言すれば、AIによる「思考のグローバリゼーション」ということで、これは「意図せざる思考の標準化」あるいは想定外の思考の標準化現象を招くことです。

すでに、私たちはそれをネットで経験済みです。かつては、ネットサービスでもその国の文化に基づいたローカライズが必要でしたし、その国や地域独自のサービスが中心でした。しかし、Web2.0以降はソーシャルメディアを中心とした米国製サービスやテクノロジーが優勢で、それまでの独自サービスなどを駆逐してどの国や地域においても米国勢が支配的になっています。

さらに、ソーシャルメディアがもたらすと思われていた多様性とは反対に、フィルターバブルによる狭い共同性——画一化・均一化あるいはより同質的なコミュニティーーに囲い込まれて安住しやすくなってしまいます。
本来はユーザーに対してより最適化された情報を提供するはずの技術が、むしろコミュニティから多様性や異質なものを排除する結果を生じさせてしまうのです。
高い効能の薬にも副作用はあるのと同じです。

こうした懸念について、2014年9月、「【書評】セレンディピティや多様性が失われ、「類は友を呼ぶ」だけの世界になってしまうのか?ーー『閉じこもるインターネット』」のなかで、私は以下のように述べました。

“これは、脳のシナプスが無意識的にこのフィルターバブルによって形成されてしまい、見たいことだけを見るあるいは見たいことしか見ない。さらには、見たことだけを見せるような情報操作が行われても、そうとは気がつかない脳になってしまうかもしれない。
それは長い目に見ると恐ろしいことだ。” (ITmediaマーケティングブログ)

多様性というのは、口で言うのは簡単ですが現実的にはとても難しいことです。なぜならば、それは自分とは異なる価値観や考え方(異質なもの)を受容する——肯定することとは次元が異なるーー覚悟と努力が必要だからです。

メディアの「クライアントサーバー型」から「P2P型」へ大転換

スマートフォンを持つ手

休憩後、田代さんの講座も4回目(「シンギュラリティで変貌するメディア」)を数えますが、この日はネットの登場でメディアはどのように変わったのかが主なテーマでした。

一番の違いは、これまでは情報源から四大媒体(新聞/雑誌/ラジオ/テレビ)を介して多くの人たちにさまざまな情報(知識やニュースなどのコンテンツ)を届けていたのですが、ネット登場以降はそうした情報源は直接多くの人々に情報を届けられるようになりました。
例えていうならば、それまでクライアントサーバー型だったメディアがP2P(ピア・トゥ・ピア)型へと大転換したということ
です。それもWeb2.0(2006年前後)はSNSに代表されるソーシャルメディア、2007年のiPhone登場がさらにこれを加速し、大多数の人々にとってP2Pが日常となったのです。

かつて、事件や事故などの情報(ニュースなど)は四大媒体が伝えるものでした。しかし、現在ではそうした情報はツイッターやYouTubeなどでまず知ることが常態化しています。
一例を挙げれば、テレビのニュース映像などでも現場に偶然居合わせた一般の人が撮影した映像を目にする機会が多くなりました。以前であれば、たまたまビデオカメラを携帯している人だけが映像として記録できたのですが、スマートフォンが誰でもビデオ撮影を可能にしたのです。
また、著名人(芸能人など)の結婚の公表などもブログやツイッターで発表するような時代で、情報源が直接多くの人たちに情報を届けるようになったことが一番の変化です。

つまり、こうしたスマートフォンとソーシャルメディア化した社会では、誰でもがカメラ・ビデオ・ICレコーダーを所有している社会なので、すべてがログとして残される(記録される)社会が到来したということを意味しています。
誰かが何気なく撮影した写真や動画に偶発的に映っていることで、それが誰かに見られ拡散されオンラインから“告げ口される”のです。

今日ではいたるところに防犯ビデオカメラが設置され、スマートフォンのGPSまで加わり監視社会だという人もいます。また、事件などの捜査でもそうしたビデオに犯人や犯行現場が映っていたことから犯人逮捕につながるケースも多々あります。
しかし、こうした見られ撮られる社会は「意図せざる監視社会」です。

それと同様、なんでもAIまかせの生活=依存しすぎる社会は、いつの間にか「意図せざるAIによる支配社会」への道につながるということにはならないでしょうか。つまり、AIなしで通常の社会生活が困難なことにでもなれば、それはAIに支配されているということと同義語です。

ビジネスパーソンには、こういえば実感しやすいでしょう。タイムマネジメントをしているつもりが、気がつけば時間にマネジメントされているような状態です。これは、みなさんもきっと経験があるでしょう。これなどはまさに「意図せざる時間による支配」です。これにかぎらず、私たちは日常生活において常にさまざまな「意図せざる状況」に遭遇しています。

ところで、つい先日(日本時間6月8日)、グーグルがAIの倫理原則を公表しました。

しかし、仮に人間の定めた倫理基準とは関係なく、中島聡さんが過日の講演で語った「AIがみずからAIをつくり出したとき」あるいはどこかの超優秀なプログラマ(ハッカー)がほんの悪戯心からそうした基準を無視した行為をおこなったと想定した場合、AI自身が人間の制御を超えて世界的な規模で動きはじめたら(いわゆる想定外)、はたして人類は一体どうなるのだろうかと。

『2001年宇宙の旅』のHAL、『ターミネーター』シリーズのスカイネットは映画にすぎないと、そうした状況でも言い続けられるあるいは笑える余裕が人間に残されているでしょうか。

私たちはネットとソーシャルメディアが“もたらすだろう”明るい社会を描いていましたが、現実の世界は均質化や同質化による閉じたコミュニティへといつの間にか引きずり込まれ、フェイクニュースに右往左往しています。

私たちが<真に気づいたとき>に、『マトリックス』シリーズのネオが本当の眠りから覚めたようなことがないと断言できるほど、私はAIの進歩や将来に確信的なことは現時点ではいえません。

今回の基調講演と田代さんの話を聞きながら、そうした考え(妄想という人もいるでしょう)が私の頭をよぎりました。もとより、これはSF好きな私の杞憂にすぎないことを願っていることは、あらためて最後に述べるまでもありません。

梅下 武彦
梅下 武彦
コミュニケーションアーキテクト(Marketing Special Agent)兼ブロガー。マーケティングコミュニケーション領域のアドバイザーとして活動をする一方、主にスタートアップ支援を行いつつSocialmediactivisとして活動中。広告代理店の“傭兵マーケッター”として、さまざまなマーケティングコミュニケーション業務を手がける。21世紀、検索エンジン、電子書籍、3D仮想世界など、ベンチャーやスタートアップのマーケティング責任者を歴任。特に、BtoCビジネスの企画業務全般(事業開発、マーケティング、広告・宣伝、広報、プロモーション等)に携わる。この間、02年ブログ、004年のSNS、05年のWeb2.0、06年の3D仮想空間など、ネットビジネス大きな変化の中で、常にさまざまなベンチャー企業のマーケティングコミュニケーションに携わってきた。