【イベントレポート】シンギュラリティ(技術的特異点)のもつ難しさとはーー「シンギュラリティ研究所」開設記念イベントに参加して

Date: 2018.05.11
Category: 広報/PR全般
Written by: 梅下 武彦
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テクノロジーのあまりにも急速な変化は、人々のコミュニケーション環境や消費行動だけではなく、政治、経済を含めた私たちの生活や社会のあらゆる面を劇的に変えつつあります。

今日、もっとも話題でありなが同時にもっとも難しいテーマといえば「シンギュラリティ(技術的特異点)」でしょう。ここ数年、みなさんもこの言葉を目や耳にしない日はないでしょう。しかし、どうしてもほかのテーマーーIot、ビッグデータ、VR/AR、ブロックチェーン、ディープラーニング、仮想通貨などーーに比べるとわかりづらい印象があるかもしれません。

シンギュラリティはある現象または状態を示す概念であり、しかも私たちの想像を超えるかもしれないということ、そしてそれをどのように理解すべきなのかという難しさがあります。
いまさらで遅ればせながらの感あり、またこうしたテクノロジーについては素人で人文学・社会学系の人間である私が、これを現時点でどのように考えあるいは理解しているかを語ることで、もしみなさんにこのテーマについて各自でなにがしか考えるきっかけを提供できれば嬉しく思います。

この問題については、私もどこかで述べておきたい<最重要テーマ>だと思っていました。
この日(4月22日)、青山学院大学にシンギュラリティための専門の研究機関「シンギュラリティ研究所」(AGUSI:Aoyama Gakuin University Singularity Institute)が開設され、友人である田代真人さんが同研究所の客員研究員に就任し、その開設記念イベントが開催されたので参加しました。
日曜日の午後からの開催にも関わらず、200名ちかい参加者が集まる盛況ぶりで関心の高さが感じられます。

最初、青山学院大学学長ならびに同大学シンギュラリティ研究所所長による挨拶のほか、スタンフォード大学のポール・サッフォ教授からのビデオメッセージが流れ、その後に基調講演がありました。
挨拶のなかで、この研究所は人文学・社会科学系の叡智を結集するものだという言葉が印象的です。

シンギュラリティは、理工学系領域の研究対象ですが、人間以外のすべてがデジタル化された社会で、むしろ人間中心の思想や理念が必要になります。この領域こそ、人文・社会学系に属するテーマであり、そうした人材を結集して研究することがこの研究所開設の意義と価値であり、これからはもっとも要求されるだろうと思います。

基調講演+連続講座という構成

株式数値とビジネスマン

第1回の基調講演は岩谷英昭氏で、同氏は米国松下電器(現パナソニック)の社長や会長職を歴任し、20年以上のグローバルビジネス経験者で、現在はピーター・ドラッカー研究所の顧問やいくつかの大学で客員教授を務めると同時にビジネスコンサルタントとしても活動している人です。
90分のほどの講演は多岐にわたって展開したのですが、講演を聴きながら私が感じたことは以下のようなものです。

かつて、高性能と高品質でグローバルマーケットを牽引していた日本だが、今日では米国はもとより新興国(中国など)にも追い越されて後塵を拝しているのが現状で、“失われた10年”は20年をこえてやがては30年になろうとしている。
日本製品はグローバル化したのだが、結局、日本社会は心(精神)的にはいまだにグローバル化は遠く、そうした世界の現実認識(自覚)も対応力も欠如している。これは経済人、政治家(官僚)から一般の人々も含めてのこと

国際化とかグローバル人材というのは1980年代から喧伝されているのですが、いまだにスローガンのように声高に叫ばれあるいは呪文のように繰り返し唱え続けられています。最近では、イノベーションがそれに相当するでしょう。かつては、製品(企業)も人(盛田昭夫、本田宗一郎など)も世界のイノベーション推進役を担っていたのですが、そうした人もいまではいません。
要するに、この“失われた数十年”とは、日本製品も日本の政治や経済もともに存在感が薄れ続けた残念な時代ということなのです。

上記は、講演者の話しを聞きながら私が受けた印象や考えたことであり、人によってはもちろん異なることは念のためにお断りしておきます。

この講演を聞きながら、私は年来の付き合いのある友人の言葉を思い出しました。その友人が最近、東京アメリカンクラブでの集まりに招かれて出席したとき、日本人というのはBig Pictureーー世界全体の動向、社会さまざまな問題などの全体像ーーが見えないのかと問われ、その通りとしか返答ができなかったというエピソードです。
その友人は日米でのビジネス経験も豊かで、彼の知見には私も刺激を受けています。かりに同じ質問を私が受けても、歯がゆく悔しいことなのですが「実にごもっともな指摘です」と、現状を鑑みればそう答えるしかありません。

さて、小休止を挟み、下記のテーマ別に用意された(A)〜(C)の3つのコース(連続講座)のどれかを選択して受講します。
5月以降も、この基調講演+テーマ別に用意された形式で開催され、夏にはポール・サッフォ教授みずからが来日しての特別授業の開催が予定される予定で全7回です。

(A)「AIテクノロジーで変わる法律と社会」(佐々木隆仁CEO:AOSリーガルテック株式会社)
(B)「機械学習とディープラーニング」(米川孝宏:ブレイン・シグナル株式会社CEO)
(C)「シンギュラリティで変貌するメディア」(田代真人:株式会社メディア・ナレッジCEO)

私は、仕事がらから関心の高い(C)を選択しました。

シンギュラリティ(技術的特異点)の難しさ

電脳

およそ四半世紀前(1995年)、インターネットが一般ユーザーでも利用が可能になったとき、世界とのコミュニケーションは容易になりより相互理解が促進されるだろうと期待されました。10年前のWeb2.0が喧伝されたころ、だれもが手軽に情報発信できるようになることでさらに多様性と受容性が高まり、世界の交流が活発になるだろうと希望が語られていました。

しかし、現実にはフィルターバブルなどによる同じ価値観に収斂してしまうことによる均質化や同質化に囲まれ、より閉じた共同性(体)による視野狭窄の状態に世界は陥っています。今日では、インターネットがもたらすと思われていた明るい未来への期待は失望へと変わってしまいました。

シンギュラリティについては、オプティミストとペシミストが最初から存在しています。前者はテクノロジーが様々な社会問題を解決してくれる明るいユートピアによる未来を描き、後者は人類全体にとっての深刻な危機をもたらすだろうとディストピアを語ります。テクノロジーの進展については、こうした問題は常につきまといます。
シンギュラリティの問題は、私たち人間存在そのものも覆すほどなのにもかかわらず、一部のテクノロジー専門家や研究者(AIやロボット工学など)でなければ理解しがたいほどの専門的な知識も要求されているからでしょう。

シンギュラリティ(技術的特異点)の問題とは、私の理解ではこういうことです。
人間は、どこまでいってもアナログな存在ですが、デジタルがすべてにおいて優位性を持ってしまった社会——私はそれを“Digital Ambient Society”と呼んでいますーーにおいて、いったい人間はどのような存在になってしまうのかということです。
これは、たんにAIやロボットが人間の労働力を奪うというだけではなく、教育から医療などまで含め、大げさに言えば人類が岐路に直面することになるだろうからです。それは、おそらく私たちの想像を超えたことなのかもしれないのです

わかりやすい例をいくつかあげましょう。
囲碁やチェスなどのゲームからクイズなどにおけるAIの勝利については、私たちはニュースでもしばしば接してきました。
しかし、IBMのAI(Watson)が60代の女性患者の正確な白血病の病名をわずか数分で正確に診断し、しかもその病名から最適な治療によって患者の命を救ったニュースは世界中の人たちを驚かせました。

人間よりAIの診断が正確になり、手術ミスを起こす可能性のある人間より手術用ロボットが患者によって選択されるようになった場合、医師や看護師などはそれでも必要とされるのか。
教育においても、ただの教育カリキュラムだけを生徒に教えるのであれば、ロボットで十分だと判断されたときに人間の教師はどうなるのか。そうした未来では、教育のカリキュラム自体もいまとはかなり違ったものになっているでしょう。

あらゆる分野でテクノロジーが人間の能力を超えて可能になったとき、それでは人間は一体どういう存在なるのだということです。
つまり、たんに労働力がAIに取って代わられるなどという問題だけにとどまらない、とても大きく重要な問題を胚胎しているのです。

メディア、キュレーション、そしてプラットフォーム

機械の中身と人々

これはメディアとて例外ではありません。数年前からメディアの危機が叫ばれています。20世紀には4大媒体だけがメディアでしたが、今日、私たちはさまざまなメディアに囲まれた社会で生活しています。なかでも、ソーシャルメディアといわれているものは実に多種多様に存在し、むしろそれらとの接触時間の方が多いでしょう。

そうしたこともあり、昨年にはジェフ・ジャービス著『デジタル・ジャーナリズムは稼げるか〜メディアの未来戦略』の書評を書きました。

田代さんは、2018年4月の新入生を対象に行ったアンケートを紹介しましたが、そうした実情が顕著にうかがえます。
メディア接触状況についていえば、テレビは95%でスマホは100%。雑誌35%で新聞にいたっては10%未満。ニュースの情報源はLineニュース、Yahooニュース、twitterで、Line、Instagram、twitterは各々90%を超える利用率で御三家。

かつてはリビングに集まってテレビを見ながら会話していたことが、現在では同じテレビ番組を見ながらスマホでコミュニケーションするのが現在におけるリビングなのだと。
こうしたメディア接触の時間はもちろん年代によってかなり異なるのですが、とにかく“隙間時間”をめぐる争いだということがわかります。逆に60代以上の老人たちは、メディア接触時間が十分にあるという指摘です。

しかし、これほど社会に溢れている各種メディアですが、それらは本当にメディアだろうかと田代さんは問いかけます。

メディアを、わかりやすくするために3タイプで紹介します。

(1)一般メディア
(2)キュレーション
(3)プラットフォーマー

(1)は、テレビ、ラジオ、新聞、雑誌などいまでも4大媒体と称されているもので、もちろん今日ではそれぞれもインターネットでの情報発信にも積極的です。
(2)は、人によってはアグリゲーションあるいはまとめサイトなどと呼んでいる人もいます。そのどれも、いくつものウェブサイトからの情報を収集して1つのサイトに集約して閲覧できるようにしているものです。微妙な違いがあるとすればアグリゲーションは主にニュースやテーマにかかわらない、キュレーションは旅や料理など特定のテーマでの集約ということになるでしょうか。誤解を恐れずにいえば、どれも「人のふんどしで相撲を取る」という点では共通しています。
(3)は、一般ユーザーが投稿する情報それ自体がコンテンツ(CGM/UGC)となるものです。したがって玉石混淆、千差万別となり、著作権無視や公序良俗に反することや「便所の落書き」といわれるような内容でもそれはコンテンツです。

本来、メディアと言われているものは、直接取材して記事を書く、書いた内容に責任を持つというのがその基本姿勢です。
しかし、(2)と(3)はこの2つの条件を満たすのに十分とはいえません。もちろん(1)にも誤報などの問題がまったくないとはいえません。それでもスキャンダルメディアでないかぎりは、伝聞(噂)や憶測だけで記事を書くことはなくファクトチェックがあります。

そうした視点で考えれば、キュレーションやプラットフォーマーを“メディア”と呼ぶべきなのかという疑問もあるでしょう。最近増加しているフェイクニュースやDeNAの健康・医療キュレーション(まとめ)サイトWELQ問題などでもそれは明らかでしょう。

反対に、情報発信しているものはすべてメディアであると考えることもできます。とくに情報発信力の強い人たち(著名人やソートリーダー層やインフルエンサーなど)にとってはすべてがメディアであり、たとえば米国のトランプ大統領やテロ組織のように世界に向けて自分の主張を発信できる(意のままに操れる)ありがたいメディアとなります。

シンギュラリティーーメディアにとっての3つの問題

機械の手とキーボード

メディアにとってのシンギュラリティとはどういうことでしょうか。それには3つポイントがあるだろうと私は考えています。しかも、メディアはアウトプットした内容で評価が下されます。もちろん、人間もアウトプットした成果で評価が下されるのは同じなのですが。

第1に、AIによる記事執筆です。これはすでに実現していることは、ニュースの報道などでもご存じかもしれません。人間が書くより短時間で多くの記事作成をするAI、しかも優れた記事を作成するツールがあれば、よほどのことがない限り記者は不要です。必要なデータ(情報)を与えてファクトチェックまで半自動的にでもしてくれるようになったとき、これまでの記者たちはどうなるでしょうか。

第2に、こうした状態が訪れたときに提供者側にとって課題は2つです。1つは巨大になりすぎた人件費などのコスト圧迫がなくなり、一部の記事ーー例えば、新聞社での論説などーーを除き、メディアとして経営合理化や効率化ができるということです。また逆にこうもいえるでしょう。取材力に優れ独自の情報源をもっている記者は、自分でオンラインを使って新聞や雑誌を発行することが可能になるということも意味しています。

第3のポイントとして、読者にとっての課題はメディアリテラシーの問題です。これまではメディアを信頼して情報に接してきましたが、“清濁併せのむ”ということが常態化するので、接している情報が正しいか否かの判断や確認は自分ですることが求められます。だからこそ、メディアリテラシー教育が喫緊の課題なのです。
もちろん、その情報の信憑性を判断するのもひょっとしてAI頼みになっているかもしれないので、そうなればますますAIへの依存が高まるのも自明でしょう。

激変する時代において、「どうなる」や「どうする」と騒ぐ人や右往左往する人は多くいます。しかし、「こうする」あるいは「こうすべき」を語ることができる人は多くはありません

インターネットが一般の人々に解禁となってもうすぐ四半世紀(25年)になろうとしています。情報革命といわれていたものは、政治・経済・国家そして人間そのものすらも変えようとするほどの勢いです。

人間は、どんなにも賢くなれるし同時に信じられないほど愚かにもなれます。テクノロジーが進歩すればそれにつれて人間も同じように“進歩するはず”というのは、進歩史観や唯物論者の幻想でしかないことは、今日の世界情況をみれば容易にわかることです。人間は間違いをおかしますし、理(思)念的には後退することもある生き物です。

それとは対照的に、テクノロジーはどんどん進歩し賢くなります。沈着冷静で正確です。しかし、人間のように倫理観を持つこともないでしょうし、直感(これは経験則に養われている部分が大なのですが)に従った選択的意思というのもないでしょう。誤作動という問題もあります。

常に合理的な判断をくだすAI中心の社会生活が到来したとき、かりに不合理かもしれないが自由意思による人間の選択=意思決定はどういう場面で必要とされるのでしょうかAIは人間とは違い、邪悪な思念をもたないでしょうが理念(理想)も持ちません。そうした社会や生活に直面したとき、人間は一体どうするのか難しい選択を迫られるときが否応なしにおとずれるでしょう。

あらゆる経営に関するデータを用意し、AIが精緻な分析を行って最適な戦略までも提示してくれ、それを人間が実行するだけだとしたら、マネジメント層の必要性もなくただデータ分析職とそれに基づいて忠実に動いてくれる人間だけがいればよく、その進捗状況や遂行・達成度までもAIが管理することになるような社会も想定されるでしょう。

現時点で生活している私たちには、そうはいっても実感が持ちにくくまるでSFの世界や遠い未来の話しのように感じるでしょう。しかし、数年後には切実な現実問題として誰もが口にすることになるでしょう

今回のイベントに参加し、シンギュラリティの孕んでいる問題の深さと難しさについて認識を新たにした次第です。
今後、この研究所の成果に注目していきたいと思っています。

なお、この講座は連続して行われますが各回個別でも受講可能です。今後の各回の基調講演と講座のスケジュール詳細は下記でご確認ください。また、講座終了後には各回で懇親会も用意されているので、講演者や講座の講師陣たちとのコミュニケーション時間が取れるのもありがたく嬉しいですね。

・青山学院大学 青山キャンパス「シンギュラリティ研究所」

ちなみに、第2回目の基調講演(5/13)は、米マイクロソフトでWindows 95、Internet Explorer 3.0/4.0、Windows 98のチーフアーキテクトを務めたことで知られている中島聡氏です。彼がシンギュラリティのもたらす未来について語る動画も公開されていますので、ご興味のあるかたは下記からどうぞ。

https://aogakutv.jp/?p=2103

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