【書評】欲望する「言葉」ーー「社会記号」とマーケティング(嶋浩一郎/松井剛共著:集英社新書)

Date: 2018.10.12
Category: 広報/PR全般
Written by: 梅下 武彦

言葉は、社会を映す鏡ともいいますし、こうもいえるでしょう。時代(世相)の気分を表現するものであると。言葉には、マーケティングでいうプロダクトライフサイクルがあります。リニューアルやモデルチェンジ、ロングセラー、コモディティ(日用品)化して生活に定着するものなどさまざまです。

本書は、新しく生まれた言葉が社会や人々にどのように受容されーー著者たちのいう社会記号化するーーのか、それを手がかりに市場に関するメカニズムについて考えるための著書です。

しかし、いわゆるフランス記号学のような難しい理論ではなく、さりとてネーミングなどのノウハウ本ではなく、マーケティングコミュニケーションと消費者との関係性を言葉(社会記号)というものを通じ、社会や文化への考え方を深める視点を提供し、しかも新書(220ページ)なので、通勤や移動時の空き時間などにも手軽に読めます。

本書から気づきを得るあるいは頭の中を整理する、日ごろの業務の進め方や考え方を確認ことにも役立つでしょう。

著者と「社会記号化」について

本書は、実務家と研究者による共著です。

嶋浩一郎は、博報堂CC局でPRにたずさわったあと、博報堂ケトルの共同CEOに。また、2004年「本屋大賞」立ち上げへの参画やカルチャー誌『ケトル』の編集長、2012年には東京下北沢に内沼晋太郎との共同事業体によるユニークな本屋B&Bの開業など、広告ビジネスだけにとらわれない多彩な活動をしていることでも有名です。

松井剛は、一橋大学教授で商学博士。専門はマーケティング、社会文化学、消費者行動論。2007年〜2009年までプリンストン大学社会学部客員フェロー。とくに言葉とマーケティングの関係について、すでに15年にわたり研究してきた大学教授です。

次々と生まれてはうたかたのように消えていく言葉がある一方、日常語として定着するものもあります。新しい言葉がどのように市場をつくり出しあるいはそこから社会記号がつくり出されるのか、いわば言葉を手がかりにし、市場の予兆を見ることで洞察力を深める手伝いや導きとすること。社会記号の生成と受容までのプロセスとを取り上げ、マーケティングコミュニケーションとメディアと社会のダイナミズムを明らかにすることを目的にしています。

言葉による「フレーミング効果」

スマイルフィギュア

「加齢臭」という言葉があります。これは資生堂が命名したもので、同社の製品開発センターが中高年特有の臭いが気になりだしたことがきっかけです。分析の結果、「ノネナール」という物質が原因であることを突きとめます。それが「加齢臭」であると新聞記事になったことで、一躍知られるようになりました。

むかしからあったにもかかわらず、それはとくに明確に意識されてはいませんでしたが、それが「加齢臭」という言葉とともにメディアで取り上げられ、人々の間に顕在化してきたのです。つまり、多くの人々の間で課題として共有されるようになったのです。これは「フレーミング効果」だと述べています。

「フレーミング効果」は、行動経済学者のダニエル・カーネマンと心理学者のエイモス・ トヴェルスキーの二人が、1981年の『サイエンス誌』で発表した言葉です。

一般的にはフレーミング効果とは、いくつかの選択肢がある場合、その選択肢の表現方法や提示のされ方により、そのときの心的構成(枠組み=フレーミング)から意志決定や選好に違いがあらわれる現象をいいます。

たとえば、「成功の確率90%」というのと「失敗の確率が10%」という場合では、その受ける印象が随分と異なるでしょう。また、フレーミング効果によるヒット商品の代表例として、ネーミングの成功例としてよく取り上げられるのが1987年、商品名を「フレッシュライフ」から「通勤快足」にした事案もその代表例でしょう。

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ほかでは女子という言葉を取り上げています。かつて「女性アナウンサー」と呼ばれていたものが、どのように「女子アナ」というふうに置き換わって一般化してきたのか。それをメディアデータなどの分析を通じて解説しています。

そこから派生した「女子会」や「女子力」という言葉もあります。これはかつて、女性をあらわしていた言葉が、いつから女子に置き換わっていったのかを説明しています。例外はスポーツで、女子テニス、女子バレーや女子マラソンなどです。

人は、あるときからそれまで使っていなかった、知らなかった言葉によってあらためて気づくということがあります。大人の女性に対しても、いつの間にか女子へと変容していったプロセスとして紹介されています。

ところで、世界初の広告会社として知られているJ・ウォルター・トンプソン(現英国WPP傘下)には、「モノを売るには言葉もまた売らなくてはならない」という考え方があるそうですが、最近では「モノではなく、コトを売れ」という言い方をします。

社会記号の発生装置としてのメディアとブランド

雑誌を読む女の子と友達

このように言葉には力があります。言葉が市場をつくり出します。

著者たちは、そうした社会記号=新しい言葉を生み出す装置が雑誌というメディアだと語ります。

なぜならば、雑誌はSTP(セグメンテーション/ターゲティング/ポジショニング)が明確で読者たちはいわゆる仮想コミュニティだからです。読者の無自覚な欲望を引き出し顕在化させるのだと。

第一章から第三章まで、社会記号の発生、受容、拡散、定着などについて、私たちがよく知っている数々の言葉と事例をあげながらメディアとの関係について述べています。

とくに社会記号とブランドが結びつくとき、それはもっとも効果を発揮します。「ファストファッション」と聞けば、ほとんどの人たちは「ユニクロ」を思い浮かべるでしょう。「プレミアムビール」といえばかつては「エビスビール」でしたが、今日では「ザ・プレミアム・モルツ」を思い浮かべる人が多いかもしれません。

こうした真っ先に思い浮かぶブランド名を、ブランドエクイティ戦略などでは第一想起ブランドと呼びます。この率(第一想起率)が高い市場ほど競争力も高いのです。

学生時代に米国映画を見ていたとき、コピーを取ることが“I’ll xerox it myself.”というセリフでした。またティッシュのことを“kleenex”と呼んでいました。このように、製品名が動詞や名詞として使われるほどそのカテゴリそのものを指すほど。

このような第一想起されるブランドを「トップ・オブ・マインド」といい、ブランドとしては最強(理想的)でしょう。そうした視点にたてば、ソニーのWalkmanは、さしずめ「世界記号」でしょう。

社会記号と生活者インサイト

パズル

誰でも経験あるでしょうが、革新的な製品(例:ウォークマンやiPod、iPhoneなど)が発売されたとき、「そうそう、こういうものが欲しかったんだ」と。その逆に、こうも感じるでしょう。「どうして、いままで誰も思いつかなかったのだろう」と。人は、自分の欲望について、かならずしも自覚的ではありません。

従来からあったものでも知られていないあるいは誰もが気づかなかったこと、他者には見えないもの。そうしたものを見ることまたは発見すること。潜んでいた課題、隠されていた欲求などを発見することを、マーケティングでは「生活者インサイト」と呼びます

「インサイト」とは、洞察するという意味です。日本語では、むかしから洞察力に富む人のことを眼力にすぐれた人や慧眼な人というように表現してきました。

たとえば、消費者へのアンケート調査やグループインタビューなどで、ある製品の機能について「あると便利か否か」と聞けば、それが「ない」よりは「ある」ほうが便利と答えます。仮に、本人が使うことがないあるいは1年に1度しか利用しないような機能だとしてもです。こうして積み上げ式に無駄に機能が追加され、操作が複雑になりマニュアルもぶ厚くなり、製品の価格も高くなります。

そうした観点から見れば、アップル社の故スティーブ・ジョブズは洞察力の高い人でした。アップル社の製品は、どれも洗練されたデザインでシンプルな操作性が人気です。ジョブズは、これだけという機能に絞り込んでそれ以外を削るようにくどいほど繰り返し指示します。かれはまた、マーケットリサーチが嫌いなことでも知られていました。そのジョブズは、以下のように語っています。

“人々はみんな、実際に「それ」を見るまで、「それ」が欲しいかなんてわからないものなんだ。だから私は、市場調査に頼らない。

私達の仕事は、歴史のページにまだ書かれていないことを読み取ることなんだ。”

社会記号とメディア、そのリスクについて

泡

第四章「メディアが社会記号とブランドを結びつけるーーPRの現場から」は、みなさんにも一番関心が高い章でしょう。

マーケティングコミュニケーションにおいて、自社の製品やサービスについて競合に対しての優位性や利便性をどうしても強調しがちです。しかし、人々や社会の文脈の中でそれがどのように求められているのかを語る方が重要であり(いわゆる自分事化など)、社会記号としてメディアでも取り上げられやすいと述べています。

第六章は共著二人の対談です。社会記号はコントロールできないと考えること、固定観念や思い込みは供給者側だけではなく需要者側にもあること、あるコト(言葉など)を例外的なものとするか新しい欲望の予兆(潜在ニーズ)と見るかの難しさ、ソーシャルメディア時代でも社会記号化(コンセンサス)という点ではマスメディアが有利であることなどについて語っています。

人々や社会の深層にある隠れた課題や欲望などを見つけ出し、言葉化して共有すること。それが著者たちのいう社会記号ということです。そして、それらに関する商品(製品やサービス)を提供し、市場を創出することがマーケターの仕事です。

ただし、この社会記号にもリスクはあります。

製品やサービスがメディアに取り上げられ人々の耳目を集めれば、一挙に認知度を獲得することができます。ヒット商品にもなり、さらにそれがメディアで話題を集めるという好循環が発生します。

しかし、なんでもかんでも社会記号にされればよいかというと、そこには2つの落とし穴があると私自身は考えています

1つは、泡沫社会記号化してしまう場合です。これは「新語・流行語大賞」を考えれば、説明する必要もないほどだれもが理解できるでしょう。一過性でしばらくしたら誰もそれを覚えていないほどです。

2つは、社会記号としての価値の変容です。本書でも登場している言葉「草食系男子」が典型例です。この言葉は、もともと女性に対して自然体で接し、恋愛に必死だったりしていない若い男性を指すポジティブなものだったのが、メディアで取り上げられているうちに「欲望に薄いいまどきの男性」というむしろネガティブな意味として変質してしまうような事例です。

本書は、記号社会とマーケティングについて述べていますが、ここまで読んできた人のなかには書評でも紹介したクリステンセン教授の「ジョブ理論」や行動観察(エスノグラフィ)などにも深く関連していることに気づいた人もいるでしょう。

なお、もし行動観察について、実際にそれはどのようなものかを知りたい人は、ヤン・チップチェイス著『サイレント・ニーズーーありふれた日常に潜む巨大なビジネスチャンスを探る』(2014年:英治出版社)が参考となるでしょう。同書は、IDEOと並ぶ世界的なデザインコンサルティングファームFrog DesignのGlobal Insightクリエイティブ・ディレクターが著したものです。

チップチェイスは10年間の日本在住の経験をもち、世界50カ国以上で行動観察してきた実績があります。彼の分析はニューヨーク・タイムズ、エコノミスト、ナショナル・ジオグラフィック、WIREDなどにも掲載され、スタンフォード大学やMITなどでも教鞭をとってきました。また、2011年には“FAST COMPANY”誌で「ビジネス界で最もクリエイティブな100人」としても選出されています。

同書には、行動観察のエッセンスが詰まっています。ただし、チップチェイスと同じような方法ーー行動観察する国(地域)で一軒家を借りてメンバーを集め、仮の研究所(ラボ)として開設して長期滞在するなどーーは、たやすく真似ができることではありません。

ところで、私はこのチャップチェイスの本を読んで真っ先に思い浮かべたことがあります。それは、学生時代に読んだマルコ・ポーロの『東方見聞録』です。いまになって考えれば、この古典(13世紀末)こそ行動観察についてのもっとも古い書ではないのかと、私自身はそういう気がしています。

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