【イベントレポート】小説家が示唆する来たるべきAI 社会——人間創成のシンギュラリティに触れて

Date: 2018.07.30
Category: 広報/PR全般
Written by: 梅下 武彦
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シンギュラリティ研究所開設記念での連続による講演+講座は今回が最終回です。

人文・社会学を旨とする同研究所に相応しく、この日は著名な小説家によるとても思索的な基調講演でした。

片山恭一さんは、驚異的なベストセラーとなった『世界の中心で、愛をさけぶ』の著者として、みなさんも私がことさらに語るまでもなくよくご存じに違いありません。

今回の「人間創成としてのシンギュラリティ」は、とても作家らしい感性や視座による内容でした。

 

300年前と300年後、あなたはどちらを選ぶ

冒頭、片山さんは行くとすれば300年前(18世紀)と300年後(24世紀)のどちらを選ぶか、と参加者に問いかけました。

300年前は1718年。カソリックとプロテスタントの宗教戦争後のウエストファリア条約(1648年)により、今日の国家=主権国家の礎が欧州に誕生してから70年後。産業革命より1世紀ほど前の社会です。そのころ日本は江戸時代。徳川歴代将軍の中では家康を別にすれば、もっともその名が知られている8代将軍吉宗の治世です。

このように、私たちは過去を歴史として学ぶことができますし、小説、映画やテレビ番組などでもさまざまに知ることができます。

300年後の24世紀。これほど未来となれば想像するよりほかはありません。それが逆に不安をかき立ててもいます。想像するしかない世界だからです。もちろん、こちらもSF小説や映画やテレビ番組などでたくさん描かれているので、イメージできないわけではありませんが学ぶことはできません。テクノロジーが驚くように進歩していることだけは確かです。世界中のさまざまな問題(戦争や貧困、環境問題など)が解決され、人間のあらゆる病気も治療が可能な社会かもしれません。しかしそれとは反対に、暗く管理統制された社会として描かれることも少なくありません。

みなさんであれば、300年前と300年後、そのどちらの世界を選ぶでしょうか。

誰もが、AIの発達は人類史の分岐点に向かいつつあるだろうとは感じていても、そうした来たるべき社会へのビジョンを私たちはいまだに見いだし得ていません。

それについて、片山さんは次のように述べました。

“AIにかんする議論を見ていて感じるのは、この世界がどこに向かっているのか、誰にもわからなくなっているということです。非常に大きな変動が起こっていることは間違いなのですが、世界規模で進行する変化の速さに多くの人がついていけなくなっている。変貌する世界についてのビジョンを、誰ももちえなくなっている。”

 “未知のもの”に対し、五里霧中のなかでなにも見えてこない状態は、誰もが漠たる不安として感じていることではないでしょうか。

仏像に魅せられることとAI

神

片山さんは、最近は奈良を訪れることが多く、そこで出会った仏像について話を始めました。私たちがそうしたものを見るとき、どことなく厳かな気持ちになるものです。それは、人間が持っている尊いものへの心性なのではないだろうかと語ります。つまり人間性に宿る“善きこと”という普遍的なもので、これは仏像だけに限らず宗教や宗派を問わずに“祈り”ということに通じるのだろうと。

片山さんの友人が訪れたインドのガンジス川で出会った人々の写真をいくつか紹介しました。みな老人たちなのですが、顔に深く刻まれたしわや表情が醸し出すよい表情に写っています。そうした人たちの個人の能力ということを勘案すれば、それは取るにたらないものですが、それを超えたものを感じたと。

そうした個人の能力や資質を超えたことを「自己(self)」の手前という言葉で表現し、以下のように語ります。

“人間にとっていちばん大切なもの、ぼくたちが本来持っている人間性みたいなものは、個人の能力やパフォーマンスを超えたところに、たぶん同じことですけれど、自己の手前にあるように思います。それは豊かにしてやわらかなものです。圧倒的に善きものです。”

それは人間として生きている証でもあり、個人を超えたある存在感なのではないかと。

AIというのは、人間の知能をコンピュータが代替することです。人間の頭脳といえども、神経細胞(ニューロン)の電気信号の伝達物質を用いた情報処理や伝達であることは知られています。それをCPUに置き換えるのがAIだということもできます。

片山さんは、認識能力それも自己認識を代替する社会がシンギュラリティだという視点をお持ちのようです。しかし、人間というのはそうした自己認識だけに限定されるものではないと。

たとえば、長年にわたり培われ伝承されてきた匠の職人技ですら、AI(ロボット)は再現できるでしょう。しかし、仮にそれほどのすぐれたAIに驚嘆や感嘆をおぼえることはあっても、そのAIに対して人は尊敬の念をいだくことはおそらくないでしょう。なぜならば、能力以上の人間性のなにかを私たちは感得することがないからです。

AIは、感情(喜怒哀楽や真善美)を理解することがないといわれます。そのAIがどれほど優れていても持つことがないもの、それこそが人間性そのもので根源でもあるからです。

「あばたもえくぼ」という感性、なにかに共感するということはAIには不可能でしょう。人間性というのは、善し悪しはあってもそれ以上の何かだからでしょう。

創作活動とAI

近代文学というのは人間性、とくにその内面を描いてきました。それでも、片山さんは遠からず小説すらもAIがつくり出すようになるし、小説家とはなにかを問われるときは必ず来るだろうと。

すでに、「星新一のショートショート」などは、「きまぐれ人工知能 作家ですのよ」として実現しています。しかも、その人工知能(AI)が作成した作品はショートショートの新人賞である星新一賞に応募し、なんと1次審査は通過したのです(3次審査まであります)。

もっと、わかりやすい例でいえば、女性向けの恋愛小説専門ハーレクインのような読み物は、要素やプロットを用意することですぐに作品を量産するようになるでしょう。

テクノロジーとディープラニングの進展にともない、やがては中編や長編小説も可能となり、たとえばいかにも夏目漱石が書いたようなAIによる新しい小説が創作されるかもしれません。

ディスカバリーチャンネルなどの宇宙をテーマにした番組では、この広大な宇宙で地球以外の知的生命体に出会ったとき、人間とはなにかを考えることになるということが語られています。

それ以前に、人間の自己認知がAIに取って代わられるシンギュラリティが到来したとき、本来の人間とはなにかあるいは人間性が試されるし始まる、だろうと片山さんは語っているのではないかと私は感じました。

もしも機会がまたあれば、お話しをうかがいたいものだと感じました。

AI記者が常態化したメディアの価値とは

田代さんの連続講座「シンギュラリティで変貌するメディア」も最終回です。

誰でもどこからでも気軽に情報(ニュース)発信できることで、それは同時にフェイクニュースがウェブに溢れる結果ともなっています。

フェイクニュースといえば、海外メディアでは、エイプリルフールにそうした情報を流すことはありますが、ウェブメディアにおいてはそれが常態化しています。

米国twitter社が、誤報や偽情報を減らすため、数千万件のアカウントを凍結したと報じたニュースが大きな話題でした。これは、同サービスの信頼性を高めるために実施されたのですが、こうした状態を放置したままではウェブメディアはいつまでたっても信頼にたるメディアの地位を確立することはできません。同サービスに限らず、これはあらゆるウェブメディアについていえることです。

メディアはかつて「第4の権力」と称されました。それは、立法・行政・司法に次ぐ社会的な公共性と影響力を持っているからです。しかし、今日では加えてウェブメディアが「第5の権力」としてその存在感を増しています。

メディアのニュース情報には、大きく分けて発表報道(ストレートニュース)と調査報道があることは誰でも知っています。前者は、容易にAIで実現可能ですが、後者こそが真のジャーナリズムだということも、ほとんどの人たちは理解しています。かつて、アグリゲーションメディアとしてユーザーを集めた米ハフィントンポストも、メディアとして存在感を高めてからは調査報道へと舵を切っています。

鉄道事故や遅延情報など、かつてはテレビやラジオの速報で知るものでしたが、今日では鉄道会社が各々で開設しているウェブメディア(ツイッターなど)で情報を得ることがほとんどです。火災や自動車事故なども、旧メディアよりソーシャルメディアで情報として流れてくることが多くなりました。こうしたいわゆる社会面的なストレートニュースの類いは、もっとも早くAIに代替されるでしょう。

スポーツニュースなども、今日ではリアルタイムで試合内容を伝えるウェブメディアが主流になりつつあります。私たちが特別に意識していないだけで、AIによるニュース記事作成が進行していることはすでに前回の記事でも触れました。

読むにたる、信頼がある情報として対価を払う価値のあるメディアとして、むしろ旧メディアの存在意義が高まるだろうと田代さんは述べています。ブランドとしてのメディアの価値があれば、それに対価を払う課金モデルが成功するでしょう。その代表格が米ウォールストリート・ジャーナル(WSJ)紙です。

AIが進歩し自動翻訳機能が普通に使えるようになれば、海外の有力メディアのニュースや情報を誰でも手軽に入手できるようになります。世界の動きを知るために、政治ニュースはワシントンポスト紙、経済はウォールストリート・ジャーナル紙をサブスクリプションするというのがビジネスパーソンとして当たり前になるかもしれません。

サブスクリプションはなにも有力紙に限らず、広告依存症メディアはすべてではないにしても、広告収入をあてにしない収益源がビジネスモデルの基本となるでしょうし、メディアもそうしなければ継続することは難しいでしょう。

来たるべきAI Ambient Societyの時代

私は2010年以降、ウェブとリアルは限りなく融解していくし、デジタルの急速な進展はDigital Ambient Societyをもたらすと繰り返し述べてきました。しかし、数年後にはAI Ambient Societyとなることは確実でしょう。それは、あらゆる情報が行き交い、今世紀の半ばには全世界数十億人がAIを媒介してつながっている高度なコミュニケーション・エコシステムによる社会となります。

新聞や広告などの見出しも、データをもとにクリックされやすい文案を作成し、本文もAIが作成する時代。PRやコミュニケーションビジネスにおいても、プレスリリースなどだけではなく、やがて戦略立案、市場調査からあらゆるコミュニケーション予算の最適化(管理)までコミュニケーション業務プロセスすべてをAIが代行するようになったとき、マーケティング・コミュニケーション(広告宣伝からPRなど)ビジネスにおいて、人が果たす役割とはなんだろうかと思わずにはいられません。

2年ほど前、シリコンバレーエリアに本社を構えテクノロジー分野に特化した独立系大手PR企業のThe Hoffman Agency日本法人代表取締役の野村さんの話のなかで、シリコンバレーのPR企業ではどこもスペシャリストSEOのインハウス化の強化を図っているという話をうかがったことがあるのですが、それもほどなくAIが行うようになるでしょう。

さらには、コンテンツ作成などでは、現在のクラウドソーシング企業が提供している市井(一般)ライターを活用した記事執筆は、遠からずAIがすべて自動作成するようになるでしょうし、AIが進歩すればプロのライターも不要になる可能性すらあるでしょう。

当面は、人間 vs AIという状態が続くでしょうが、今世紀の半ばにはAI vs AIという状態にまで発展することもあり得ます。つまり、AIとAIによる「イタチごっこ」の時代です。とくにオンラインにおいては、想像以上にAI vs AIの様相を呈することが早まるかもしれません。これはある意味では『パーソン・オブ・インタレスト』の後半で展開された、ザ・マシン対サマリタンの物語のような気が私にはしています。

今回、シンギュラリティ研究所は第1期の講演ならびに講座になりましたが、すでに第2期も準備されています。また、9月22日(土)には「AIリベラルアーツ塾」としてのオープニングイベント(参加無料)も開催が予定されています。

今後の同研究所ならびに同研究所メディアラボの発展に大いなる期待をしています。

最後に、この受講の貴重な機会をいただいた田代さんには心より感謝を申し上げます。

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